【フィールドノート】子どもと自然との関わりについてのフィールドノート始めます。―「遊ぶ」「学ぶ」「居る」をキーワードに―
自分自身のことって、よくわかりそうで、わからない。だって、身体を映す鏡はあっても、心を映す鏡はないのだ。
かたつむり見習いがライフワークなことには違いないのだけれど、もうちょっとマジメ(?)に考えて、最近になってようやく、自分が探求していることが見えてきた気がする。ざっくりイメージ図を描いてみたら、こんな感じになった。
野島智司の関心領域ざっくりイメージ図
理論的テーマとしては、人(子ども)が「遊ぶ」「学ぶ」「居る」ときの自然との関係性、つまりは自然の意味や価値を詳らかにしたいということ。そこに関係するアカデミックな用語をそのまま書くと、自己化(appropriation)、アフォーダンス、環世界、トランザクション、バイオフィリアなどのキーワードが出てくる。
また、「遊ぶ」「学ぶ」「居る」の3つの要素がある状況では、きっと「生命」「自由」「主体」みたいなことがキーワードになるし、現象として「逸脱(脱線)」が生じる。
そしてこれは、実践的テーマとして、そこで立ち現れる自然の意味や価値に、おとなやコミュニティはどう関われるのかという問いにつながる。
プレイパーク、フリースクール、居場所づくり、ビオトープづくりなど、さまざまな既存の実践があるし、方法論として「あそびらき」や、プレイワーカーやアトリエスタといった存在も注目すべきだろう。
この辺り、もう少し構造を描いていきたいし、同時に平易な言葉で表現できるようにしたいなぁ。
「遊ぶ」ならプレイパーク、「学ぶ」ならオルタナティブスクール、「居る」なら居場所。というふうに、どの要素に重きが置かれるかによって、子どもの場の呼び名は変わる。
けれども、どの場にも3つの要素が分かちがたく深く結びついている。
私自身、プレイパークのプレイワーカーとして活動していたこともあるし、「こうもりあそびば」という居場所を運営していたこともあり、現在はフリースクールやオルタナティブスクールに関わっていて、その辺りの普遍的な関係性を紐解きたいなぁと常日頃思っている。
もっと言えば、感覚的にはこの3要素は同じことを言っていて、その別の現象的側面を指しているだけなんじゃないかとも感じている。でも、場の設え方は変わってしまう。
新しく始めるこの連載は、上記の関心に基づいてライフワークとして活動する、私のフィールドノートにしたい。
まずは主に、フリースクール/オルタナティブスクールにおいて、筆者が実践する「しぜん」の授業の様子を主に記録する予定である。また、場合によっては「へんてこモンスター」ワークショップについてもフィールドノートが書けるかもしれない。
また、今後別の設えられた場に関わることがあれば、そこでのことも記録していきたいし、過去の経験もあらためて捉え直してみたい。
※授業記録も兼ねているので毎週更新を目指しますが、諸々の状況によって予告なく不定期の更新になることをご容赦ください。
※記事の大部分を、サポートメンバー限定にする予定です。それに伴い、これまでのサポートメンバー限定「マイマイな日常」はいったん終了します。
※記事は1記事ごとの購入が可能な、note.mu(現在休止中)でも配信する予定です。
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