【エッセイ】春休みがもったいないという気持ち
「春休みがもったいない」
そう感じるようになったのは、フリースクールの講師をするようになってからのこと。
春の自然には、楽しみなことがたくさんある。
それを、子どもたちと分かち合えないことが、なんだかもったいないのだ。
春分の日を境に、春休みが始まってしまう。春はまだ中盤である。
いよいよ生きものが元気になってきたなぁ……という時期なのに。
春の自然の変化
この時期の自然は、毎日のように新登場の生きものがいる。
庭池ビオトープを見ていても、生きものたちの姿が日に日に変わっていくのがわかる。

庭池ビオトープのオタマジャクシ
春休みに入るタイミングは、ニホンアカガエルやヤマアカガエルのオタマジャクシたちが本格的に泳ぎ始めたころ。オタマジャクシが水面に上がってきたり、また水底に下りていったりする様子を、ただぼーっと眺めているだけでも楽しい。
庭池の見た目の印象も変わってくる。植物が増えて、色が鮮やかになる。
たくさんのセリが生き生きと伸び始め、地下茎を伸ばして広がっていく。
春の雨で水量が増えることで、水中に弱いミゾソバは端へと追いやられる。
イトミミズがうにうにしている水底から、いつの間にかエビモが伸びている。

カスミサンショウウオの卵塊
アカガエルより少し遅れて産まれたカスミサンショウウオの卵塊。その胚のかたちは、少しずつ変わる。サンショウウオの幼生はカエルのオタマジャクシよりも細長いため、当初の球体からの変化が大きい。毎日見ていると、満月が三日月に変わっていくように、少しずつ細長く変化していく。
同じ池に、アカハライモリも姿を現す。今年はなかなか出てこなかったけれど、最近ときどき姿を見せるようになった。アカハライモリの卵は、私の探し方が悪いのか、まだ見つけたことがない。だからこそ、探す楽しみがまだ残っているとも言える。
ほかにも続々と生きものたちが現れたり、既存の生きものが新たな一面を見せてくれたりする。
春は、その日その日に新たな気づきがある。そんな時期だから、生きものたちとの出会いをフリースクールの子どもたちと共有できないのが悔しいのだ。
春は卒業シーズン
先日は、産の森学舎(フリースクール)の小中学生による「佐波いきもの調査隊」の活動の打ち上げとして、恒例になった野草の天ぷらパーティーがあった。

まずは天ぷらにする野草を摘みに行く。この場所は産の森学舎のビオトープ。

摘んだ野草はみんなで調理。
食べる時間になると特別感があるのか、やたらとハイテンションになる一方、同時に最後はプレ卒業式のような雰囲気になる。
「『普通の学校』ではできないことが経験できた」とか、
「生きものとかそんなに好きじゃなかったのに、今は好きになった」とか、
「副隊長になりたかった」とか、
色んな感想を言ってもらえて、胸がいっぱいになる。
「佐波いきもの調査隊」は特に思い入れの強い活動なので、そこに主力として参加してくれた子が卒業するのは、とてもさみしい気持ちになる。
さらにその翌週、産の森学舎(フリースクール)の卒業式にも参加させていただいた。毎年、卒業生本人が企画して、準備して、自分たちのやりたいプログラムを実行するスタイルの卒業式。最後は学年を問わず、在校生みんなが卒業生との思い出を分かち合う。
ほんとうに、一人ひとりが大切な存在だと実感する。
(産の森学舎のnoteにも、ビオトープのことを書いてくれています。)
気づきを分かち合う
いつの間にか私は、さまざまな自然や生きものの変化に気づくと、それを「子どもたちと共有したい」と思うようになっている。
自宅の庭で出会った生きものは、息子たちと。産の森学舎の周辺で出会った生きものは、佐波いきもの調査隊のみんなや、産の森学舎のみんなと。テトコトで出会った生きものは、テトコトのみんなと。
そうして、たくさんのことを分かち合った子どもたちが卒業してしまうのは、喜ばしいことだけれど、切ない気持ちになる。

あらこんなところにツクシマイマイ。
私は、何らかの知識や技術を教えたいという感覚はあまり強くなくて、それよりも私が自然を見て、楽しい嬉しいと感じる気持ち、大切だと思う気持ちを、分かち合いといつも思っている。そして、実際にそれを分かち合ってくれたみんなが、どんどん、かけがえのない存在になっていく。
好きなものを分かち合ってくれた人が大切だと感じるのは、ごく自然な感情だろう。
そして、感謝の気持ちも湧いてくる。
(いざ目の前にその子たちがいると、こんなふうに言葉にはできないのだけれど……)
(※ここからはサポートメンバー限定です。)